沖縄出版界の歴史
沖縄出版界の歴史沖縄出版界の歴史
#02

戦後初期沖縄の出版事情

沖縄出版協会
武石 和実
有限会社 榕樹書林 代表取締役

米軍政当局による出版統制

ここで、米占領当局による出版検閲について報告をしなければなりません。

戦後の沖縄は体系的な法の支配の外に置かれていた。といってよいでしょう。沖縄の人々は日本の国籍を失い、かといって「沖縄」という国家があったわけでもない。そんな中で占領当局は「軍布告」を発令し、生活の様々な領域の統制に乗り出します。

1948年7月、沖縄民政府情報課は出版の許可制を打ち出し、「認可を受けている以外のすべての出版物は、その発行を中止せねばならない」とし、当時の文化行政の責任者、川平朝申が以下の規制案を自ら作成し、軍当局に上申したのです。以下は、その提案書です。


(省略)
民主主義沖縄文化の建設と国民情操の陶冶を図らんために、下記の通り、検閲規定を起草致しました。ハウトン大尉ご校閲の上、ご制定あらんことを願います。

規定制定の趣旨

当局の主眼とするところは、各個人の本然の権利たる表現の自由を演劇、演芸、思想、及び其の他の芸術家諸氏に与え、沖縄をして民主主義的新文化を建設し、沖縄住民を利 益し、ひいては平和のために自由愛好的な世界を実現せんがために努力しつつある世 界人類のために使用さるべきもので、もちろん悪用さるべきものではない。

演劇、演芸の上演、放送、出版に関する下記の規定は簡単にして、上記の目的を達成 するために必要である。

規定

  1. 演芸・演劇・出版・放送はポツダム宣言の条項ならびに連合軍の発表せる進駐目的に違反せる思想を実現する手段として使用するべからず。
  2. 天皇現人神主義、封建主義、軍国主義、財閥、武士道、大東亜、自殺あるいは、自由人の本然の権利を否定するすべての思想、又は信仰(仇討を美徳とする思想)を賛美するべからず。非民主的封建思想に対する盲従的伝統に従い、民衆の利益をジュウリンすべからず。
  3. 女性の男性に対する不平等を是認する演劇・演芸の上演又は出版をなすべからず。女性は政治的にも男性の同等者なり、親父の売るがごときは女性の個人の権利を認めざるものなり。劇中又は物語り中の一人物が斬る生き方の害悪を指摘せざるかぎり、かようなものは許可せず。
  4. 軍国主義的音楽の演奏を禁ず。但し例外あり。すなわち検閲さる演劇又は物語のテーマに必要と認めたるものに限り許可せん。
  5. 連合軍ならびに連合国を悪批判する演劇、出版なるものを禁ずる。
  6. 史的事件を材料とする興行及び出版には真実を固守すべし。
  7. 軍国主義を不可とするにあらざれば、軍国主義的背景を有する演劇、演芸も禁ず。
  8. 善悪の闘争の一部としてのみ犯罪の上演を許可し、犯罪を過大視すべからず。
  9. 衣粧、景色、装置、小道具ならびにセリフは上記の規則に順応すべし。
  10. これらの上演及び発表せんとするすべての原稿は事前に軍情報部の検閲を受くべきである。以上一つに反するときは許可せず。

自由は臣民よりする思考力ある国家を建設するに貢献するは、諸氏の仕事であり、責任である。当部は何を上演せよ、又、何を著述せよとは命ぜざる方針なれど、諸氏が過去から遊離し、沖縄の国民と共に将来に生きん事を切望する。

諸氏は沖縄住民として現在いろいろ社会的政策、感情的問題に直面せる住民に、現時の問題を、又、これを取り扱いたる価値ある演劇、演芸、創作を提供することを自らの責任とすべきである。諸氏が先見のある人であるならば現代が諸氏の好期である。

起案者 統計課長 川平朝申


これは大学のサークル誌、文学雑誌、教会の布教誌、市町村自治体刊行物、政党機関紙誌等 を厳しく制限するものであった。出版許可の権限は行政主席にあったが、実際には事前にア メリカ米軍民政府の承認が必要とされていた。こうした中でいくつかの事件が発生します。

1950 年、琉球大学が創立され、その3 年後『琉大文学』が創刊されます。『琉大文学』は 反米軍政の闘争の思想的拠点として大きな足跡を残しましたが、第8 号(1955 年刊)が当 局によって発禁・回収処分となり、第11 号(1956 年刊)も発行停止となります。いずれも 同人メンバーが伊佐浜の土地接収への抗議運動に率先して参加していることを背景に、誌 面が反米的だということによるもので、島ぐるみ闘争への弾圧が目的でした。1956 年の反 米闘争を理由とした「第2 次琉大事件」の処分者7 名の内、4 名が『琉大文学』同人でした。 『琉大文学』は、米軍政による出版弾圧に抵抗することによって、その後の沖縄の文学・思 想に大きな影響を与えました。初期のリーダー新川明、川満信一、岡本恵徳等の活躍を見れ ば、それは一目瞭然です。

よく知られている事件に1960 年に沖縄県教職員会が発行した「愛唱歌集」の事件があり ます。この歌集の発行にあたって、教職員会は「この程度のものが発禁されることはないだ ろう」という予測の元に、12 月16 日に許可申請をしつつも、その許可が下りる前の12 月 22 日の教研集会で印刷・配布したのです。これに対し軍政府は1961 年1 月、布令違反だと して回収を命令、当時の民主化勢力と激しく対立します。結局この事件は、検閲制撤廃の大 きな契機となりました。翌年に改訂版が許可を得ることなく刊行されました。

結局、米軍の出版統制は、その意に反して強固な反米軍政の闘いを生んだことになります。 1972 年の沖縄の本土復帰以前の先駆的な反米軍基地の闘いは今も受け継がれています。出 版の世界でもその地下水脈は確実に受け継がれていると言っていいでしょう。今その動き は、反基地は元より、沖縄のアイデンティティの確立という方向で努力されているのだろう と思っております。

附記

沖縄の出版統制の実態については、不明な点が多い。どのくらいの出版申請があり不許可になったものが何点あるのか、よく分からないのが実状である。

2015年12月31日の琉球新報紙上に出版統制の原資料の存在が報道され、大きな話題となった。その復刻出版の動きも出ている。参考までにその新聞記事を掲載する。