出版人列伝
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#01

編集工房 東洋企画
大城佐和子さん

大城佐和子さん
大城佐和子さん(株式会社東洋企画印刷 専務取締役)

沖縄とハワイをつなぐ架け橋に!

周囲を明るくする人で、元気を与えてくれる人でもある。

それは、大城さんの「うちの会社は、アットホームな環境なんです。仕事ではもちろん、お互いプロとして接していますけど、一旦仕事を離れると、それこそ家族のような仲のよい関係に変わりますよ」と話していることでも理解できるような気がする。さらに続けて、「今はコロナの関係で実現できていませんが、会社でのビーチパーティや忘年会は、家族同伴なんです。みんな和気あいあいと楽しんでいますよ」とも。

印刷業や出版の仕事にはプロとしての矜持を保ちながら、家族的な雰囲気で仕事をこなしていく東洋企画の社風が垣間見える。

まさに慈母のような雰囲気で社員を牽引する大城さんは、1964年那覇市泊生まれ。子どもの頃は活動的な少女だったという。

明るい家庭でノビノビ過ごし、小・中学校を卒業し、高校で運命的な出会いを果たす。後に伴侶となり、東洋企画の両輪となって働くこととなる大城孝氏との出会いであった。「友人の知人といった関係でした」。淡い友情が愛情にかわるのに時間はかからなかった。

高校を卒業してバスガイドとして勤務することになっても付き合いは続き、20歳のときに結婚。22歳で子どもが生まれたことをきっかけにバス会社を退職し、専業主婦として家庭を支えることになった。「子どもが小学校を卒業するまでは、家庭を守ろうと思ったんです。実際、二人目の子が小学校に入学するまでの10年間は、専業主婦でした」。

しかし、大城さんにとって大きな転機が訪れる。夫の孝氏の勤めていた会社が倒産したのだ。印刷業の他に出版社も運営していた同社は、県内外から高い評価を受けていただけに衝撃は大きかった。もちろん、幼子を抱えた大城家の不安も大きかっただろうと推察する。しかし大城さんは、「私は根っから楽天的にできているのでしょうね。何とかなるとしか考えていませんでした。もちろん、全く不安がなかったかといえば嘘になりますけどね」。

かくして大城さんの第二の転機が訪れることとなる。1997年1月のことだ。

「夫婦で農業を始める準備を進めました。地質や土壌調査、種苗などの文献資料収集のため図書館にも通い、実際農家を訪れてハウス栽培の勉強もしました。マンゴーを作りたかったんです。ですが、これまでお世話になった方々から、印刷の依頼を引き受けて欲しいとの要望があって、思い悩んだ結果、新しく会社を立ち上げることにしたんです。それが東洋企画印刷です。最初は制作オペレーターからのスタートでした。そのために、コンピュータスキルを学ぼうと、学校にも通いましたよ」と明るい表情で語る大城さん。

しかし、全くの初心者には厳しい毎日だったようだ。「最初は、なんで手伝うって言ってしまったんだろうと考えることもありました。コンピュータを扱うのは初めてのことで、戸惑いばかりでしたが、多様な業務をこなすうちに、感覚でコツがわかるようになりました」。東洋企画は、夫のこれまでの経験を活かし、印刷部門と出版部門を併せ持つことにした。

「最初、編集作業は編集プロダクションに依頼していました。社内で作業を始めたのは1年後からでしたね。かつての会社で、本を出していた著者からの逆オファーもあって、信頼されていることに感謝しかなかったです」。そこで大城さんは、オペレーター兼、編集者としての道を歩みはじめることになった。

「特に、『琉球・沖縄史』の著者である、新城俊昭先生のお声がけが嬉しかったです。出版だけではなく、多方面でバックアップしてもらいました。創業当時から現在に至るまで、弊社の主力出版物となっています。新城先生のご協力があったからこそ、ここまで会社を存続させることが出来たと思っています」。続けて「『琉球・沖縄史 ジュニア版』は、私自身が小学生や中学生になったつもりで編集しました。沖縄の子どもたちに、楽しく沖縄の歴史に触れてもらいたいとの気持ちがあったからです。そのためにも、私自身が楽しみながら作り上げるということを意識しました」。一連の編集作業は、大城さんにとって、今でも忘れることのできない経験となっている。

実際、本書は、県内のみならず、県外など多くの方々から評価され、他の出版人からも評価が高い。「楽しく沖縄の歴史を学べるというコンセプトなので、内容はもちろん、色遣いなどにも気をつけました。今でも子ども達の役に立っていると思うと、編集者冥利につきますね」と語る大城さん。

それまで夫婦力を合わせて地道に努力してきたことが結実したときであっただろう。会社も最新の印刷機械やソフトを導入し、着実に発展を遂げていく。