出版人列伝
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#12

シンカイ企画・フリーライター
真境名育恵さん

沖縄を書

一度書くことから離れリセットしたかったと『月刊Hands』を退職後に県外へ移住。

数年後に帰沖、職探しをするなか河川環境保全NPO団体の求人に目が留まる。求人内容は那覇市内のモノレール沿線上の観光資源を再発見し、地図化するというライティング事業。沖縄を書く仕事へと自然と戻っていった。今まで触れてこなかった身近な沖縄のシンボリックなモチーフを調べることが、真境名さんのなかで新たな気づきと意識に繋がってゆく。「一言で言うと面白かったです。それまで調べたことがなかった身近な公園が国指定鳥獣保護区だったり、街路樹やユタが集まるというカー(井泉)が観光資源になったりと、私が資源だと思っていなかったものすべてが資源になり得るという視点を得ました。身近な沖縄を意識し始めましたね」。

沖縄初のブックカフェ「ブッキッシュ」で開催している読書会「ホンモアイ」へも参加。同メンバーで発行している小規模商業誌(ZIN)『雑誌ほんもあい』(ほんもあい倶楽部・発行)には、創刊号から携わる。同誌では、プラザハウスショッピングセンター(沖縄市)内の洋書専門店タトルブックストア(2018年閉店)を取材した。この取材の中で、戦後のアメリカ世がもたらす特需から生まれたプラザハウス設立時の背景を知る。

米軍占領下の中で米軍人とその家族用の施設として誕生したプラザハウスショッピングセンター、それが後に地域を潤した。本土復帰を喜ぶ人々の中で、商売が成り立たなくなったと嘆いた祖父母。

沖縄戦を経験した祖母は友軍だと信じていた日本兵がウチネーンチュを虐げる一方、鬼畜米兵と恐れられていた日系米国人(ハワイの二世)の呼びかけより命を救われた。またヤマトンチュ(熊本出身)だった祖父も沖縄戦に参戦したが、ハワイに捕虜に取られたことで一命を取り留めた。

「アメリカ世と本土復帰がもたらした光と影、父母や祖父母から聞いた戦中戦後の風景と想い出とが、プラザハウスという場所でリンクした。この取材が転機となり、沖縄の光と影の側面をライフワーク的に見つめていきたいと思うようになった」と語ってくれた。

現在とこれから

那覇市教育委員会、沖縄県産ソーシャルメディアの編集などを経て2012年にフリーランスとしての活動を開始。2015年には個人事務所シンカイ企画を立ち上げる。屋号には、急逝した弟への想いと旧姓である新開(シンカイ)の名を残し、新しい何かを生み出していきたいという想いを込めたという。

自身が書き発信したいという想いは年を重ねてふつふつ湧き出てきたという。

「沖縄の女性が血筋を繋いでいくこと、女性に課せられた目には見えない沖縄の文化と価値観、自身の立ち位置から見えるものとしっかり向き合いながら書き続けていきたい」と語る。

それは決してネガティブな敵対心から生まれるものではなく、「新しい時代と未来を生きる子どもたちが自分らしく生きられるように」という、母となった真境名さんの願いや祈りのようにも感じた。きっとその願いは、彼女の子どもたちだけでなく沖縄に生きる女性へと響くものになるだろう。

現在、ライターに留まらずブックライティングを手掛けられるなど真境名さんの活躍の場は拡がり続けている。沖縄を書き続けてきた真境名さんから、新たな展望を聞かせてもらった。

「本土復帰50周年にあたり、沖縄タイムス社の企画で沖縄国際大学の石原昌家名誉教授(平和学)、立命館大学の岸政彦教授(社会学)の監修のもと『沖縄生活史』の聞き手の一人として選んで頂きました。この事業を通して、自分が書き続けていくテーマを見つけることが出来ればと考えています」。

ライター、女性、母として、強く美しくしなやかな真境名さんに私は憧れる。

真境名さんの今後の活躍と紡がれる文章が楽しみであると同時に、その背中を見ていたい、追いかけていたいと思う。

インタビュアー:我那覇祥子