出版人列伝
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#14

フリー編集者・「カフェユニゾン」店主
三枝克之さん

三枝克之さん(フリー編集者・「カフェユニゾン」店主)
三枝克之さん(フリー編集者・「カフェユニゾン」店主)

~編集者は、すべてを管轄する監督~

沖縄では異色なタイプの編集者である。

寡黙な人でもある。

三枝克之氏。1964年兵庫県生まれ。

高校を卒業後、京都の大学に進学。卒業してからは、東京のレコード会社へ就職した。「そこでは4年半勤めました。大学で美学芸術学を学んだので、それが活かされると思ったからです」。三枝氏が東京のレコード会社で働き始めたころは、CDが新たな媒体として登場し、これまでの販売戦略とは異なり、プロモーションヴィデオでの宣伝が行われるようになった時代。「本当は、映画を撮りたかったのですが、当時の映画界は時代の波に押されてどん底のころでした。なので、映画を撮る夢を一旦あきらめて、その代りにPVを撮る仕事に就こうと思ったんです。映像的にも面白いものが作れるかなと考えたものですから」。しかし、そう簡単にはいかず、「まずは営業の仕事をして、それから演歌とアイドルのビデオ担当になりました。演歌もアイドルも、僕とはかけ離れた世界でしたから、面白さを感じなかったですね。逆に営業の方が楽しかったです」と語る。

退職後は、大学時代を過ごした京都へ。「実は、植木職人やパン職人の世界に憧れがあったんです。できれば、自分の腕一本で仕事をしてみたいと思ったのですが、いかんせん、植木職人もパン職人も、当時は徒弟制度がまだ息づいている時代。そういうのは性分的にあわないので、諦めました。今の時代だったら、足を踏み入れていたかもしれないですけどね」。そう考えれば、当時の植木・パン職人の世界に私たちは感謝しないといけないだろう。もし三枝氏が、その世界で生きていたなら、その後、三枝氏が編集したり書いたりした本の世界をみることができなかったのだから。

「次の仕事をどうしようかと考えていたところに、京都市内の印刷会社が編集者を募集していることを知ったんです。編集の仕事は、それまで考えたことがなかったのですが、本来やりたかった映像の仕事と似ているかもと考え、それに映像編集も書籍編集も同じ、モノづくりだと思ったので応募することにしました」。その印刷会社の出版物の多くは、図録やカタログ、自費出版系だったが、あらたにオリジナルの企画物を出版したいと、編集部門を創設することにしたのだ。「採用になりましたが、編集は僕一人でした。会社からは新しい感性で本づくりをしてほしいと言われましたので、自由に企画を立てることができたのです」と言う。続けて「まず考えたのは、京都だけで流通するような本ではなく、全国で通用する本。そして印刷会社である利点を活かせるビジュアルブックがいいと考えました」と語る。結果、最初の企画として生まれたのが『空の名前』。これまでにない、さまざまな空の写真と短い文章を組み合わせた同書は、大きな話題を呼ぶこととなり、編集者・三枝克之の名前を全国に知らしめることともなった。「『空の名前』は、これまでにない新しい形のビジュアルブックとして受け止めてもらえました。ドリカムの歌のモチーフになるなど、反響がすごかったですね」。事実、売り上げも予想以上で、現在までに60万部以上を売り上げるロングセラー本だ。「この本を企画編集したことによって、今の僕がいるといっても過言ではないですね」。その後もシリーズ本の『宙の名前』、『色の名前』を刊行。いずれも35万部、25万部を越えるベストセラー&ロングセラーとなっている。「僕にとっては我が子ともいえる本ですね」と語るが、その編集方法は独自のもの。「企画を立ち上げてコンテを書き、著者を発掘し、編集・アートディレクションからプロモーション・営業戦略まですべてやりました。著者は発刊されるまで、どんな形の本になるかわからなかったようです」。後述するが、編集の作業を単なるモノづくりの一員ではなく、すべてを管轄する監督として考える三枝氏の考え方を形作るきっかけとなったシリーズであることは間違いないだろう。