出版人列伝
出版人列伝出版人列伝
#09

山田書店 タウンパルやまだ
山田隆雄さん/山田克己さん/山田美智子さん

山田隆雄さん/山田美智子さん/山田克己さん(有限会社 山田書店 タウンパルやまだ)
山田隆雄さん/山田美智子さん/山田克己さん(有限会社 山田書店 タウンパルやまだ)

商店街の中で、郷土書を売る

石垣島の昔ながらの商店街の中にある「タウンパルやまだ」は創業70年の老舗書店だ。

かつては公設市場を中心に地元買い物客で賑わっていた商店街も、郊外に次々と大型スーパーなどができて客が流れていくにつれ、お土産品店が立ち並び観光客で賑わう商店街に様変わりした。それでも山田(島の人は皆そう呼ぶ)に用があって行くとホッとする。本が好きだから、というだけではない。地元の人も観光客も入り混じっている生き生きとした店内では、店員とお客さんとのやり取りや店長の元気な声も耳に入ってきて、嬉しくなる。今日も山田は変わらないと安心するのだ。

昭和27年に「山田書店」を創業したのは、現代表取締役社長の山田隆雄さん(60歳)と、代表取締役店長の山田克己さん(55歳)の祖父に当たり、竹富村長も務めた武三さんだった。当初は商店街の中にあった瓦家の自宅玄関を改装した3坪のスペースで、雑誌を販売することからスタートした。

その後、息子の隆一さんと嫁の美智子さんが店を引継ぎ、週刊誌やマンガが絶好調の時代の波に乗り、事業は拡大していく。「当時は少年ジャンプがうちの主力商品で、島内50カ所の商店に卸していました。コンビニもなかったからね。1誌だけで1000冊は売れたかな。本土より1週間遅れの発売日には、店先の自転車が道にもあふれて、タクシーの運転手に『通れない』と苦情を言われるぐらいで」と克己さん。

1970年代には本と相性がいい文具部門にも力を入れ、「文具プラザ山田書店」をオープン。さらには77年、島の伝説となる「サンリオショップ・アミー」まで開店させた。

「父と母が二人で東京に交渉に行きサンリオショップを引っ張ってきたあの行動力は、今振り返ってもすごい」と克己さんが感嘆するように、当時を知る世代には今なお「アミー」の名が残るほどの衝撃だった。都会と同じように本物の流行のグッズが買える、そのことはネットショッピングなど発達していなかった時代に、島の少女たちの目をどれほど輝かせたことだろう。お小遣いではちょっとお高いけれど、憧れの店だった。

東京で数年会社勤めをしていた隆雄さんと、学生のころから将来を見据えて書店でバイトをしてきた克己さんの二人が店を継いだのは、ごく自然の流れだったそうだ。「祖父が創業して、父母が形にしてくれた」と感謝している。隆一さんは亡くなったが、美智子さんは90歳の今なお相談役として毎日出勤している。「山田のおばさん」を訪ねてくるお客さんのために、休むことはなかなかできないと笑う。

隆雄さんは、「親は島に帰ってこい、本屋をやれと一言も言わなかったんです。子どものころから店を手伝えと言われたこともなかった。家業を一切強制されなかったんです。今、自分が次にバトンタッチする世代になってみて分かるのは、我が親ながらすごいなと。だから私たちも子どもたちに店を続けるためにも継げとは強制していないんです。子どもたちが無理せず、自然にやりたいと思ってくれたら嬉しいけど」と話す。

克己さんも「僕たちもあと10~20年はまだまだ頑張って続けて、子どもたちにとってそういう存在でありたいですね」と言葉を添える。

地道かつ大胆だった両親の商才に加えて、兄弟で得意分野を活かし合い、OA事業にも参入、店舗を統合・拡張するなどさらなる発展をさせていくのだが。

いつしか書店にとって絶好調の時代に、少しずつ影が落ちてきた。

「かつてはうち以外にも地元書店が数店あったけど、本島にも本土資本の巨大書店ができたりして、島でも大手の出店にヒヤヒヤしていました。90年代にはツタヤができ、きょうはんもきた。うち以外は地元書店はなくなって、石垣島もいよいよそういう時代になった」と覚悟を決めた。