第 21 回東アジア出版人会議 10 周年記念沖縄 会議( 2016 年 11 月) 発表原稿

「沖縄県産本」とは何か

「沖縄本」という言葉があります。沖縄について書かれた、沖縄をテーマにした本がそう呼ばれます。沖縄本を刊行する出版社は沖縄ばかりではないため、県産本は沖縄本の一部ということになります。

ネットワークが結成されたころ、よく話題にのぼっていたのは、結成の2年前、1992 年の沖縄本ブームでした。この年は沖縄が「本土復帰」してから 20 周年に当たり、首里城が復元された年でした。そして地方振興に大きな影響力を持つNHK大河ドラマ「琉球の風」の放送が目前に迫っている時期でした。

このとき、沖縄の歴史を解説した本が多く出て、「琉球王国」本ブームが吹き荒れた時だ ったのです。ただし、それを発行したのはほとんどが沖縄以外の出版社で、沖縄の版元はほとんど反応しませんでした。それはあまりにもはっきりしたコントラストでした。沖縄の出版社は商機を逸したわけですが、私の記憶では、そのころのネットワーク内の会話では、商売下手であることを認めながら、「しょうがないよね」とのんびりした受け止め方でした。それが「沖縄らしい」とでも言わんばかりに。

読者(買い手)にとって、内容が同じであれば、発行した出版社の所在地(沖縄県内かそれ以外か)などほとんど意味はありません。しかし、それでも「県産本」と打ち出すのは、県外出版社が出す「沖縄本」と「県産本」とは違いがあるのではないか、その違いをPRすべきではないのか、という思いがあったと思います。

その違いについての私の考えは後述します。この時期、東京の出版社の沖縄本であっても、ある種の熱を帯びていたのを私は覚えています。フロンティア、まだ誰も知らない沖縄、それを世に(読者に)知らしめるのだという熱を。

そうして生まれた沖縄本について、東京の出版社はその後気づくようになったと思えてなりません。市場としての沖縄を。つまり、「沖縄の本は沖縄で売れる」ということを。

一つの例を挙げます。2002 年にボーダーインクが『読めば宮古』という本を出しました。宮古というのは沖縄本島から南西に 290 ㌔離れた島、または諸島のことです。この本は宮古の風土、気質、歴史などをコラム形式でまとめたもので、同社のホームページでは「宮古の宮古による宮古のための本」と紹介しています。この本が宮古の1書店だけで発売開始1カ月で 3000 部を売ったというのです。宮古島市の人口は約5万4千人(約2万5千世帯)ですから信じられない売上です。ちなみに宮古島生まれで現在那覇市在住の私の母親もこの本を所有しています。同じ宮古島出身の方からのプレゼントだそうです。

ここで感じるのは自らを知りたい、知ってほしいという強い思い。別の言葉を用いれば「郷土愛」といえるのではないでしょうか。宮古島は極端な例かもしれませんが、沖縄全体に通底するものがあると私は考えています。

県産本の初版発行部数は 1200~1500 部をスタートラインとするのが一般的です(企画に応じてもっと絞り込むことも少なくないのは言うまでもありません)。しかも、流通の関係でそのほとんどは沖縄以外の書店に並ぶことはありません。県産本の売上のうち、沖縄県以外で売れるのは 10~20%と思われます。わが社の昨年実績で言えば 15%でした。初版1500 部が完売したとして、1275 部が県内で売れるという計算です。沖縄県民の人口は約140 万人ですから、かなり厳しい数字です。なぜそれが可能なのか。

先ほど申したように、「沖縄の本は沖縄で売れる」ということに尽きるでしょう。沖縄の出版文化を支えているのは出版社ではなく、読者なのだと私は思っています。沖縄県の一人当たりの書籍・雑誌購入額が全国最下位というのは前にお話ししました。本にはお金をあまり使わない県ではあるが、買うのであれば沖縄の本、ということになるのでしょう。そこに私は「自らを知りたい」という沖縄人の強い衝動を感じとってしまいます。

ここで「県産本」を生み出す沖縄の出版社と出版事情について説明したいと思います。

最初に県産本ネットワークの加盟社が 23 社あるとお話ししました。そう言うと他県の方には「やはり出版王国ですね」と驚かれます。日本には 4107 もの出版社があり、そのうち3170 社が東京都に所在し(2007 年3月現在、資料:出版業界紙「新文化」より)、単純に出版社数がその地域の出版活動の活発さを測る指標とはならないのですが、地方出版の盛んな地域といわれる長野、福岡などと比較しても見劣りがしないのは確かです。

川上賢一・地方小出版流通センター代表によれば、地方出版は①出版専業社(全体の1割と推計しています)、②新聞社の出版、③書店・古書店の出版、④印刷所の出版、⑤図書館・研究団体の出版、に分類されます(『「地方」出版論』1981 年、無明舎出版)。県産本ネットワークの構成もこれに見事にあてはまります。①の専業社には個人・家族経営も含まれています。⑤はネットワーク加盟社にはありませんが、市町村史を発行する部署で構成される沖縄県地域史協議会という組織があり、2009 年まで沖縄県産本フェアにも出品していました。

ここで「県産本」という呼称について、あえて「県」という日本の単位を用いなくてもよいのではないか、と指摘されることがあります。ほとんどは沖縄以外の方々から。沖縄は日本と対等であるべき地域なのだ、それを誇りにもって独自性を打ち出すべきではないのか、という意味での助言であると理解しています。それはありがたい指摘だと思っております。

ここで「沖縄の歴史は日本との同化と異化の繰り返しであり…」とか「沖縄独立論について…」という話をしだすと私の手に余るため割愛します。ただ、前述した通りスタートが沖縄以外で発行される沖縄本との違いを出すために付けた、正直言えば深い考えがあっての呼称ではないということは言えるかもしれません。他に適当な呼び名も思いつかないということもあるでしょう。

ただ、「沖縄以外に『県産本』を名乗れる地域があるのか」という自負もないわけではありません。それであっても褒められるべきは「沖縄」であって県産本ではないでしょう。事実、県産本なくても優れた沖縄本はたくさんあります。もっと言えば、私の場合、下世話な例えですが、「『自分はすごい』と自分で言う人間にすごい人はいないよな」とどうしても思ってしまうのです。認めていただくのは本当にうれしい。ただ、褒められるに本当に値するのかという問いは常に持っておきたいと考えています。