第 21 回東アジア出版人会議 10 周年記念沖縄 会議( 2016 年 11 月) 発表原稿

「沖縄県産本」とは何か

歴史家・鹿野政直氏はその著書(『化生する歴史学』1998年、校倉書房)で、沖縄の文化では出版と芸能が「活気を帯びている」としながら、その2つの分野の沖縄への向き合い方は「いちじるしい対照」をなしていると指摘しながら以下のように記しています。「芸能の場合は、『沖縄とはこれだ』と沖縄的なものを強く押しだそうとしているのにたいして、出版のほうはほとんどいつも、『沖縄とは何か』を問いかけています」。私がこの文章に触れたのは数年前ですが、非常に得心したことを覚えています。

県産本とは何か、他県の沖縄本とどう違うのか、と考えた時に私が思うのは、その「問いかけ」の濃淡ではないかということです。ある意味、沖縄人にとっての出版は「自己検証」と同義ではないかと思うのです。沖縄人が自らを知りたいと沖縄本を読むことによく似ていると思うのです。

なぜ芸能が「沖縄とはこれだ」と胸を張れるのか。それは先人から技や心を受け継いできたという確信があるからではないかと私は考えます。逆に言えば出版人にはその確信が乏しいということになります。

ご存知のように、沖縄はその歴史の中で幾度も自己喪失の危機を迎えました。一方で他のものを柔軟に受け入れる精神を持っていたといわれています。変わらずに残り続けるのが「沖縄の神髄」なのか、変わり続けるその現実こそが「沖縄の姿」なのか─、人によって考え方はそれぞれでしょうし、その両者の間を揺れ動いているのがほとんどではないでしょうか。少なくとも私は揺れ動いています。だから問い続けなければならない。

私は沖縄の出版事情を聞かれた際、「沖縄の出版人は幸せだ」という言い方をよくしてきました。興味深い題材は身近にある、それも数多くある、そしてそれに興味を示して読者がいるという出版環境を指しているのですが、私の場合、それに加えて先の自己検証ということもあるからです。自己検証という私的な満足感を生業にできているという幸せです。もちろん検証とは「疑う」と同義ですから、自分は本当に沖縄人なのかというアイデンテ ィティーの揺らぎに直面する多少の苦痛もあるのですが。

流通に関してまだ課題があり、沖縄の出版物は少部数がほとんどです。ですが私はそれほど悲観していません。返本というストレスは小さいですし、「読者の顔が見える」というのはさすがに言いすぎでしょうが、少なくとも購入していただく読者の存在を身近に感じています。これは地方出版のあるべき姿であるし、それはとても心地いいものに私は感じています。流通の問題は、少なくとも今より悪いことは起こらないという意味で、可能性だけが残されていると考えるようにしています。今回の会議の開催で、私は初めて東アジアの読者層を意識することになりました。ここにも可能性があるではないか─、その思いはより強くなりました。

一方で、この数年来、多少焦りのようなものも感じるようになってきています。そう思うのは最近の沖縄と日本との政治的溝の深さからくるものによります。私は沖縄に生を受け、沖縄を発信できる立場の者として、沖縄の置かれた状況とそれをもたらした歴史のことを伝えることで、その溝を埋めていこうという思いを強くしています。これは本の販路を広げる(沖縄以外の読者を増やす)ということはもちろんですが、沖縄について理解の薄い読者を意識した編集を心掛けるようになりました。沖縄への理解が薄いのは何も日本本土ばかりではありません。新聞離れが言われるようになって久しいですが、新聞の購読層と沖縄本読者層はかなり近いような気がします。そういう層に届くような本を作りたい、それが新聞社に籍を置く出版人としての私の責務ではないのかと考えています。

友利仁(ともり・ひとし)
沖縄タイムス社文化事業局出版部長・沖縄県産本ネットワーク事務局長。
1967 年那覇市生まれ。91 年沖縄タイムス社に入社。出版部に配属され書籍編集に携わる。 2009 年に編集局学芸部に異動、主に文化面担当記者。
13 年、出版部に復帰、現職。
※プロフィールは発表年度のものを、そのまま掲載しています。