第 25 回東アジア出版人会議 韓国 富川会議(2018 年 10 月) 発表原稿

『絵本ひめゆり』の制作 ~沖縄戦を語り継ぐ~

ひめゆり平和祈念資料館には、平和学習の修学旅行生のほか、たくさんの来館者が訪れます。そんな中で、元学徒の皆さんは、小さい子どもたちに、沖縄戦のことやひめゆり学徒隊のことを伝えるために、絵本を作ったらどうかと話し合いました。

そこで、絵を描く人を広く全国から公募しました。そして選ばれたのが東京在住の三田圭介さんでした。三田さんは、ひめゆり学徒隊の記録を読んだり、元学徒の皆さんから直接話を聞いたり、その話をもとに戦跡をまわったりしてイメージをふくらませ、たくさんの絵を描いていきました。

1年以上ディスカッションを重ね、絵を何度も描き直したりしたあと、実際に絵本の制作を始めるという段階になって、弊社のほうへ編集・制作の依頼がありました。
最初ご相談を受けた時の状況は、絵は何十枚も描きあがっていたのですが、テキストはできあがっていない状態でした。そこにあったのは、画家である三田さんが絵に添えた、キャプション的なものだけでした。

そこで、絵本を構成するシナリオについて、資料館の皆さん、元学徒の皆さんと話し合いました。

まず論点となったのは、「戦争」というものを小さい子どもにどのように伝えるか、見せるかという点でした。あまりに恐怖心を抱かせるようでは困るということです。

三田さんの絵はとてもファンタスティックでかわいらしい絵柄だったので、その点はとても良いと思われました。

ただ、中盤以降は、「戦場での凄惨な体験をそのまま絵にすると子どもたちには刺激が強すぎる」という配慮から、とても抽象的なものになっていました。

私は、これでは子どもたちは何が語られているのか理解できないだろうと思いました。

それに、戦争というものを抽象的に表現する絵本なら、ひめゆり平和祈念資料館で出す必要はないとも思われました。

それで、絵本と言っても、幼稚園児とか小学校低学年といった年齢層を対象とするのではなく、小学校中学年から中学生、高校生、ひいては大人にも一緒に読んでもらうことを想定してつくってはどうかと提案し、話し合いの結果、実際にひめゆり学徒の身に起ったことをきちんと表現していこうということになりました。

次に、それでは誰の体験をモチーフにするか、という問題が出てきました。ひめゆり学徒隊と一口に言っても、全員がずっと行動をともにしていたわけではなく、日本軍の各部署にバラバラに配置され、その体験は一人ひとり違っています。たとえ配置場所が一緒でも、過酷な戦場では1分1秒のタイミングで違った事態に遭遇し、生死を分けました。

本当なら、一人の主人公がいて、その主人公がこれこれこういう体験をしましたという流れにしたほうが、読み手にとっては親しみやすく、受け入れやすいはずです。しかし、現役で語り部をしている元学徒の方々の中から、誰か一人を選ぶというのは難しいという問題がありました。

かと言って、架空の主人公をつくってお話をつくると、どうしてもリアリティに欠けるような気がしました。

架空の「お話絵本」ではなく、あくまでも資料館で制作する、「ひめゆり学徒隊の体験を絵本化したもの」としたかったのです。

悩みに悩んだ挙句、主語を「わたしたち」として、ストーリーは、複数の方の体験を織り交ぜて進めていくことにしました。

大まかな筋立てとしては、戦前の平和で楽しい学園生活の様子、戦争の足音、戦場への動員、戦場での体験、そしてたくさんの学友が命を落とした結末へ、というふうにしました。

三田さんが描いていたたくさんの絵の中から各場面に合ったものを選び、足りないものは新たに描いてもらいました。

テキストは、なるべく的確でわかりやすい表現を模索しながら推敲していきました。県外の人、沖縄戦についてあまり知識のない人が知らないであろう言葉には注釈をつけました。

最初に出来あがったものは、ページ数が60ページほどになってしまい、これでは長すぎるということでなんとか42ページにまで削りました。

冒頭の戦争前の学園生活の描写は、当時も現代も基本的には変わらない、15歳から19歳の少女たちの学園生活を描くことで、現代の若い人たちに、「これはまったく遠い世界のお話ではなく、自分たちの身にも起こりうることなんだ」と感じてもらうことを狙いとして入れました。

沖縄戦の始まり、戦地への動員、戦場でのこと、米軍に収容されるところまでは、できるだけ具体的に描いていきました。

終盤は、戦争の終結、戦場となった沖縄の惨状、そして、残った人たちの心情を表した抽象的な絵で終るという構成になりました。

絵は、元学徒の皆さんにチェックをしてもらいながら、服の色など、場面の細かいディテールにまでこだわって、何度も加筆修正、あるいは描き直ししてもらいました。

たとえば制服の色がどんな青だったか、陸軍病院へ出発する時、先生や兵隊が何人前に立っていたか、などです。
最後から2番目の集合写真は実際の写真をもとに、最後の絵は実際の学校の校門前の風景をもとにしています。

そうして、依頼を受けてから約半年後、沖縄県民にとってはとても意味のある日、6月23日の「慰霊の日」にあわせて発行することができました。

試行錯誤を重ねて作った絵本ですが、なにより元学徒の皆さんが納得し、喜んでいただけたことにホッとしました。

重く凄惨な内容でありながら、表紙や冒頭、巻末などの明るく印象的な仕上がりが、長くお付き合いさせていただいている元ひめゆり学徒の皆さんの、今も変わらぬ少女のようなイメージとよくあっているなと思って、気に入っています。

おかげさまでその年、沖縄の新聞社「沖縄タイムス社」主催の「出版文化賞」をいただくこともでき、元学徒の皆さんもとても喜んでくださいました。

この絵本は、当初はひめゆり平和祈念資料館のみで販売していましたが、増刷に併せて、弊社から書店への流通を任せていただきました。

その際、帯を作る時に、日本の児童文学のベストセラー「ズッコケ3人組」シリーズの著者、那須正幹先生に推薦の言葉を書いていただくことができました。

以前、日本児童文学者協会主催のセミナーが沖縄で開催された時に、那須先生が「戦争を題材にした児童文学」についてお話をされた分科会に参加しました。那須先生は広島のご出身で、3歳の時に被爆しておられます。代表作は『ズッコケ3人組』というとても楽しいお話なのですが、戦争児童文学というジャンルの確立、必要性についてずっと考えておられたようです。とても感銘を受けました。

私はそこで『絵本ひめゆり』のことについて少しお話させていただきました。そのご縁で、と言ってもその時に一度お会いしたきり、それから1年以上たっていたと思うのですが、厚かましくもかのビッグネームの那須先生に『絵本ひめゆり』をお送りし、「帯に載せたいので短い推薦文を書いていただけないですか」と無理を承知でお願いしたのです。

するとすぐに「何文字ぐらいで書けばいいですか」とお返事をいただき、とてもびっくりしました。そして間もなく送ってくださったのが次のような推薦文です。それをご紹介して私の発表を終わります。

「この絵本を読んだ人は、なにを感じるでしょうか。少女たちのむごたらしい死体に、きもちが悪くなるかもしれません。おそろしくて、ページをとじたくなるかもしれません。しかし、これは、みなさんのおじいちゃん、おばあちゃんの時代にほんとうにあったことです。この絵本は、戦争のない世の中を願って作られました。それを実現できるのは、だれでもない、あなたたちなのです」

諸見志津子(もろみしずこ) Shizuko Moromi
1960 年東京生まれ。1984 年沖縄へ移住。2006 年よりフォレスト代表。2007 年ふくふく童話大賞(沖縄市社会福協議会主催)、2012 年琉球新報児童文学賞受賞。
※プロフィールは発表年度のものを、そのまま掲載しています。