第 23 回東アジア出版人会議 中国 烏鎮 会議( 2017 年 9 月) 発表原稿

新聞ジャーナリズムと出版

 琉球新報記者(編集局文化部長)米倉外昭

はじめに

沖縄の戦後は今年で72年の歴史を刻んでいる。その戦後史の中で、最も長く多くの出版点数を世に問うてきたのは、琉球新報と沖縄タイムス2つの新聞社だと思う。新聞社は日々新聞を出し続けながら、地域の出版文化の担い手という自覚と共に、ジャーナリズムの一環として出版という方法を重視していることでもある。

それは、昨年11月の東アジア出版人会議沖縄大会の基調講演を行った高良倉吉実行委員長(琉球大学名誉教授)が、沖縄の出版における新聞社の役割の大きさを強調し、沖縄の戦後史における県や市町村など自治体による県史、市町村史編纂事業などと続くものとして新聞社の出版活動を評価したことからもうかがえる。

以下、新聞社の現場にいる者の実感にすぎないが、沖縄における新聞ジャーナリズムと出版の位置について私見を述べてみたい。

沖縄の新聞

日本の新聞(日刊一般紙)は、その規模から全国紙、ブロック紙、県紙(地方紙)、地域紙とおおまかな区分が可能だ。それらの関係は、全国紙が競い合う大都市圏の全国紙、ブロック紙や県紙がしのぎを削る主要都市圏など多様である。しかし、全国紙、ブロック紙の影響が限定的な地方では、各県を代表する県紙1紙が地域のシェア率を誇るケースが多い。そのような中でも沖縄の状況は特異であることを述べたい。

日本の各県で、県紙1紙が有力な地方が多い理由は、戦前の1940年の言論統制と資源統制の結果、1県1紙へと統合されたためである。そして戦後、多くの新聞が1県1紙のまま新聞を発行し続け、現在に至っている。

例外的に有力地方紙が複数あるのは青森県、福島県、沖縄県である。青森県は文化的・歴史的背景の違いの中で、戦後、新たに誕生した新聞がそれぞれの地域を基盤に新聞を発行してきた。現在、主に2紙が住み分けている状況だ。福島県は戦前統合された新聞のひとつが戦後復活し、現在2紙が競合する。それぞれ全国紙と経営的につながっている点が特殊である。

沖縄の場合は、エリアがまったく重なる形で「琉球新報」と「沖縄タイムス」が互角に競い合っている。戦前の沖縄でも1県1紙への統合が行われた。統合された新聞は日本軍の機関紙のような役割を果たしながら戦火の中で発行を続け、1945年5月、発行停止に至った。

戦後、新たな新聞の登場と淘汰が繰り返され、現在の2紙が生き残った。現在の琉球新報は、戦後、米軍によって創刊され、すぐに株式会社となった『うるま新報』が1951年に「改題復元」し、戦前の歴史を引き継いだ形を取っている。

サンフランシスコ条約によって1952年に日本が独立を回復した後も沖縄は米国統治が続き、言論・表現の自由も制約された。そして日本への復帰運動が大衆的に長く闘われた。1972年の日本復帰後も米軍基地問題が沖縄にのしかかったままだ。そのような困難の中で県民の支持を得たのが現在の2紙である。

27年間、日本から切り離され、人口も100万人足らずの離島県沖縄では現地印刷が困難で、全国紙の進出はなかった(現在は日本経済新聞が印刷されている)。それも2紙が拮抗する背景にあるだろう。

さらに、沖縄は沖縄本島から海を隔てた宮古地区、八重山地区に、それぞれの地域紙が圧倒的シェアを占めて存在していることも特徴だ。

沖縄のジャーナリズム

近年、「沖縄の2紙は偏向している」「沖縄の2紙をつぶさなあかん」などという批判が公然となされるようになった。インターネット上の沖縄バッシングの中で、沖縄メディアはターゲットのひとつになっている。

沖縄という地域は特異な歴史をたどり現在も特殊な状況にあるが、沖縄のジャーナリズムは、その在り方としては何ら特別なものはない。「誰のために何をどう報じるのか」という基本に忠実であるに過ぎない。すなわち、県民のためになすべき取材をなし、必要な情報を提供し、必要な問題提起をする、ということである。

それを「偏向」と呼ぶ人たち自体に、沖縄に対して偏向した見方があるというべきだろう。無論、沖縄の中にも多様な言論、多様な見方がある。沖縄の2紙はその中でより多くの支持を得られるスタンス、あるいはより弱い立場にある人々の側に立つという、ジャーナリズムの基本を忠実に実践しているのである。

新聞社にとっての出版

新聞社は地域において報道という公共性の強い役割を担ってきた。出版でも公共性を強く意識してきた。自らの紙面で行ってきた調査報道をひとつの書籍にして世に問うことは、書籍として改めて読んでもらい、また「まとまった資料として手元に置いてもらいたい」、「地域社会で活用してもらいたい」という意図がある。外部から持ち込まれる出版企画でも、公共性を意識して出版するか否かを判断しているのである。

最近、私が関わった出版に、写真集『ウィルソン 沖縄の旅(Wilson in Okinawa) 1917』がある。著者は作家の古居智子さん。本年2017年9月8日に発売開始されたばかりである。世界的なプラントハンターが100年前に沖縄で撮影した貴重な写真59枚を、現在の写真と比較して紹介し、100年間の歴史を考えてもらおうという本だ。新聞連載は現在でも継続中で全文を英訳しており、海外へ移民した沖縄出身者からも関心が持たれることを期待している。

もう一つ特徴的なものとして、2005年の『沖縄戦新聞』、と今年刊行の『沖縄戦後新聞』がある。それぞれ「再現新聞」という形で、新聞紙上において1年余りにわたり月1回程度のペースで4ページの特集紙面を組んだ。書籍化するにあたり、特別に編集し直すことはせず、新聞紙面の形のままで出版した。学校などの教材としても好評で、県外でも広く活用されている。

出版の意義

毎日発行される新聞は、膨大で多岐にわたる情報の一部として定期または不定期に報道するものだ。切り抜きをする読者もいるが、読み忘れもあるし、保存することはなかなかできない。書籍化することでそのテーマに関する情報を整理し、かつ保存できることが可能になる。

また、書籍にすることで改めてその問題、テーマを世に問うことができ、取材・執筆した成果を再度活用することができる。出版で収益を上げることは簡単ではないが社としては収益にもつなげたい。書籍として成功すれば、新聞社の知名度、価値の向上にもつながる。

日々の紙面に歴史を刻み、文化・社会の向上を目指すのが新聞社の役割だが、それは出版活動も同じである。毎日の紙面をすべて保管することは個人では不可能だし、データベ ースで情報を読み進めるのも味気ない。
新聞社の出版履歴は、新聞社の記者が、どのように時代と格闘し、どのように社会に情報を提供し、どう課題を提示してきたのかを示すものでもある。

他の先進諸国がそうであるように、日本でも紙の新聞は劣勢にあり、インターネットへの対応に四苦八苦している状況だ。出版界も長く不況が続いており、沖縄という小さな市場を対象にする出版のハードルはますます高くなっている。しかし、新聞ジャーナリズムにとって出版は表現手段の一つであり、公共性の高い報道機関の自負を示すものである。地域で支持されることを目指すのは当然だが、県外、海外でも注目される媒体として出版の可能性はまだまだあると、私は信じている。

米倉外昭(よねくら・がいしょう)
1961 年生まれ(55 才)。1987 年 東北大学卒業。1987 年 琉球新報社へ入社。編集局文化部、北部本社報道部、社会部、八重山支局、整理部、文化部などを経て、2017 年 文化部長に就任。第 21 回東アジア出版人会議沖縄会議にて会議情報・各地域出版人の寄稿文・編集者列伝等の記事を琉球新報へ掲載。
※プロフィールは発表年度のものを、そのまま掲載しています。