第27回東アジア出版人会議 沖縄会議(2019年11月) 開会の挨拶

沖縄県雑誌から見る世界のウチナーンチュ出版事情

編集工房東洋企画
いのうえ ちず

沖縄は日本でも有数の「移民県」だ。1899年に最初の移民がハワイへ旅立ってから、1944年までの間に約7万人が海外へと移住し、戦後1945年から1993年までの間には1万7千人が主にアメリカ大陸へと移住した。移民の2世~5世でも「自分はウチナーンチュである」というアイデンティティを持つ人が世界中にいる。彼ら沖縄系の人たちは、沖縄から世界に開かれた窓の一つだ。世界各地に「沖縄県人会」があり、三線や琉球舞踊、空手などの沖縄文化を学ぶ人たちが集まるウチナーコミュニティがある。今回は実際に見てきたハワイとブラジルの事例を紹介する。

今年10月、弊誌の取材でペルーとブラジルを訪れた。琉球舞踊のグループに同行し、公演や現地の方々との交流の様子を取材するという内容だ。ブラジルの沖縄県人会では、戦前移民の2世や戦後移民1世が70~90代という、自分史を出したい年齢層にさしかかっている。彼らの多くは日本語とポルトガル語のバイリンガルで、自分史や同人誌、各県人会支部の周年記念誌などを日葡併記で出版している。中には、沖縄の出版社から日本語で出版している赤嶺園子さんのような方も。彼女の大作『笠戸丸移民 未来へ継ぐ裔孫』はブラジルの日本語新聞「ニッケイ新聞」の発行で、販売は沖縄タイムス社。新刊の『日本の年中行事』の日本語版は新星出版社から出されている。赤嶺さんのお話によると、ブラジルではポルトガル語版を出版しているが、日本語版の方は沖縄県人会館で開催されるイベントの時でもあまり売れないとのこと。50代以下では、日本への留学経験者や80~90年代に日本へ出稼ぎに出た人の子弟(日本育ち)を除けば、日本語で読み書きしない人が多数派。日本語での出版は一定数のニーズがあるもののマーケットとしては頭打ちで、若い世代や非日系人の間でのニーズはほとんどないという印象が強く残った。

ハワイの沖縄県人会の場合、若い2世(といっても70代)はほとんど英語のみ。高齢の2世(80~90代)は日本語も読めるという感じで、3世以降は日本への留学経験者を除けば日本語での読み書きができない人がほとんど。そのため、ハワイで出版されている沖縄関係の書籍はほぼ英語だ。沖縄の歴史や文化を紹介する弊誌の記事を見ると「英語でも出して」という反応が圧倒的に多い。世界中に沖縄系の人がいて、沖縄の文化を知りたい・学びたいというマーケットがあることはわかっているのに、この「翻訳」という壁が目の前にあることをいつも感じている。沖縄は出版文化が盛んだが、一つひとつの出版社は企業としては小規模零細が多く、1冊につき100万円200万円の翻訳料を支払って外国語に翻訳しても、次には流通の壁があり、商業活動として1社で翻訳料をペイして利益を出すレベルにこぎつけることは非常に困難と言わざるを得ない。

そんな状況でもできることからトライしてみようと、弊誌では昨年、二度目のハワイ特集を組んだ。この中で、ハワイのウチナーンチュ3世である友人たちとコラボした記事が2本ある。1つは救援物資に関する記事。沖縄戦後、沖縄県民の多くは衣食住に事欠く戦争難民のような状態に置かれた。それにこころを痛めた海外のウチナーンチュたちが、次々と救援物資を送ってくれたという事実がある。特にハワイから550頭の豚が贈られたことは有名だ。ハワイのウチナーンチュは豚だけでなく、医薬品、衣料品、学用品、雑貨、豚に加えて山羊まで送ってくれたのだ。ハワイでは苦労して寄付金を集めた話は残っているが、それが沖縄でどのように分配されたかという話は伝わっていないとのことだった。そこでハワイの友人が来沖した際、実際に豚をもらった人を訪ねて共同で取材をした。沖縄県公文書館や県立図書館でも一緒に文献をあたり、米軍関係の資料はそのまま、日本語の資料は私がざっくり英訳して共有。逆に私がハワイへ取材に行った際は、当時どのように寄付金を集めたかを覚えている高齢の方々に取材した。その成果を、私は『モモト』に、ハワイの友人は『ハワイヘラルド』紙に、それぞれの視点から書いた。2本目のコラボ企画は、2世の兄弟が長男は米軍に入り、次男は一中鉄血勤皇隊として戦没したファミリーヒストリーだ。

この2本の記事には後日談がある。救援物資の記事は、昨年9月、ハワイの沖縄県連合会の「オキナワンフェスティバル」で、別の友人が英訳して展示。その英訳データをもらい、今年10月30日の「世界ウチナーンチュの日」連動企画として、沖縄県立図書館で記事を元に日英併記でパネル化して展示した。もう一つのファミリーヒストリーは那覇市立首里中学校の平和学習で私が題材として講話をした。

翻訳と流通の壁がクリアできれば、沖縄県内の出版物にはさまざまな可能性があることは出版関係者なら誰もが感じていることだと思う。グーグル翻訳など便利な直訳ツールはあるが、まだ出版物に転用できるレベルではない。文化を伝えるには、その文化になじみのない人向けに説明的なニュアンスを加えることも時には必要であることが大きな理由だ。意味を伝えることと、文としての味わいまで伝えることは似ているようで異なる。もう一つの流通の壁は、紙媒体に拘泥しないことが鍵だと考えている。

いのうえちず経歴
雑誌『モモト』編集長/フリーエディター・ライター
広島県生まれ。 國學院大学を卒業後、東京で 約20 年フリーライターとして、ブライダル情報誌、旅行情報誌、医療看護関係など幅広いジャンルの仕事を手がける。 2004 年に『沖縄ナビ』、2005 年に『沖縄ナビ移住編』を枻出版社より出版。2009 年、雑誌『モモト』の創刊のため、本拠地を沖縄へ移す。現在『モモト』で編集長をつとめる一方、県内リゾートホテルの広報誌、旅行商品の企画なども手がけ、トークイベントや講演会活動、平和学習コーディネートなどのほか、PBSネットワーク(全米放映)のTV番組「Family Ingredients」沖縄ロケではアドバイザー兼コーディネーターをつとめた。
プライベートでは「NPO法人 首里まちづくり研究会」副理事長、「糸満帆掛サバニ振興会」役員、2019年より白梅学徒隊の慰霊祭継承と語り継ぎを目的とした「若梅会」の代表をつとめる。
※プロフィールは発表年度のものを、そのまま掲載しています。