第 21 回東アジア出版人会議 10 周年記念沖縄 会議( 2016 年 11 月) 発表原稿

県産本をアジアへ

更なる飛躍に向けて

これまで、いろいろなことを考えてきました。期待感もありますが、心配な点も数多くあります。市場調査の問題、翻訳の問題をはじめとして、東アジアの地域に県産本の需要があるのだろうかとも思います。しかし、そのような点ばかりをあげつらっても仕方がないことだとも思います。利点を探し、それを強調し、読者を探し、読者を創造し、読んでもらうことが大切です。そして、それをビジネスに結び付けることが大切だと思うのです。それが私たちウチナーンチュ・シマンチュ、沖縄の可能性であり、沖縄でよく言われる「沖縄の心」だと思います。

ほとんどが沖縄県内で消費されてきた県産本。出版人も、読者の設定は沖縄県内でしか考えていませんでした。その意識を大きく変えていくことは私たち沖縄の出版人に問われていることなのでしょう。

大きな変革は、小さな変化が集まって潮流を創りあげたものと考えればよいと思います。

それを意識しすぎて、これまでの手法や思考を変えることは怖いことです。私たちは、これまでのように、コツコツと沖縄にこだわる本を編集し、出版することが大切です。その手法や思考に少しプラスすることが、一番大切なことだと思います。

沖縄の本のレベルがどの程度なのか、実は沖縄の出版人はよくわかっていません。かくいう私も、その一人なのですが・・・。沖縄の本が東アジアへ展開することが現実のものとなりつつある今、私たちは、自信を持つことが必要なのでしょうね。

今年、「パジュ・ブック・アワード」において、榕樹書林の武石和実氏が特別賞を受賞されました。県内の版元が国際的な出版に関する賞を受賞したのは初めてのことで、非常に画期的なことです。これからは、さまざまな出版賞で、沖縄の本が俎上に載せられることを期待するところです。県産本が受賞することもあるでしょう。県内で受賞し、日本国内で受賞し、アジア圏で受賞し、国際的な出版賞を受賞する本が出てくる可能性もあります。そう考えるとワクワクします。その可能性を考えるだけでも楽しいものがあります。

但し、零細企業がほとんどで経済的に厳しいのが、沖縄の出版界の現状。せっかくのチャンスを棒に振ることにもなりかねません。そうならないようにするためにも、私たち沖縄の出版人が一致団結して、まずは東アジア出版人会議に参加し、改めて本の面白さを確認し、各地域の方々と交流する喜びを知ることから始めたいと思います。

更なる飛躍を目指すためにも。

より広い世界へ

1960 年代に生まれた私にとって、本とは紙で読むものでした。今は違います。紙媒体で読むことはもちろん、パソコンやスマートフォンで読むことにも抵抗がなくなってきました。県産本もかつては紙媒体中心だったのが、現在は電子書籍も含めて発刊されるようになってきました。電子媒体への抵抗もありましたが、商業出版である限りは、売れる可能性があるものに手を伸ばすことは当然のことです。逆にいえば、狭い市場だからこそ、電子媒体のような国境を超える書物が、必要であるともいえます。また、そのような電子媒体を企画・発刊する人材が育ってきているのも事実です。

実際、東アジア出版人会議の事務局をしていて感じるのは、世界は考えていたより広いものではないのだということ。メールで中国や韓国、台湾の方々とやり取りができるのです。メールの機能さえあれば、世界どこの地域とも触れ合うことが可能になったのです。つい最近まで、私には考えることのできない世界でした。

私たち沖縄の人間(沖縄の言葉でウチナーンチュ、あるいはシマンチュといいます)は、自らの地域を狭い世界などと過小評価しがちです。しかし、世界へ雄飛したウチナーンチ ュ・シマンチュが大勢いましたし、現在も、大勢の人が夢を抱きながら、海外へ飛び立っていきます。

今年の 11 月に東アジア出版人沖縄会議が開催されますが、その三週間前には、「世界のウチナーンチュ大会」が開催されます。沖縄をルーツに持つ世界中のウチナーンチュたちが一堂に会して触れ合い、友好を深めるのです。ウチナーンチュがルーツであるといっても、それぞれの国に溶け込み、その国の一員となっている方ばかり。その国独自の雰囲気をまとっています。そのような方々が、集まるさまは壮観です。

もちろん、海外へ雄飛したとはいっても、貧しさゆえの口減らしや、お金を稼ぐための算段として、移民していった方が多かったのも事実。しかし、それでも、私は、ウチナーンチュ・シマンチュは狭い世界に閉じ込められているわけではない、世界中の多くの国々とつながっているのだということを、実感として持っていなければいけないと思うのです。

歴史的にみても、15 世紀から 16 世紀にかけて、当時の東アジアから東アジア海域での交易活動を活発に展開した、大交易時代と称される時代もありました。

私たちウチナーンチュ・シマンチュのDNAには、海外へと向かう国際人としての資質が生まれながらにして、備わっているといっても過言ではないように思うのです。

東アジア出版人会議を端緒として、他のアジア地域や欧州・アフリカまで視野に入れた出版活動を行う日がくるかもしれません。それを期待したいと思います。

宮城一春(みやぎかずはる)
1961 年沖縄県那覇市生まれ。フリー編集者、ライター。
幾つかの沖縄県内の出版社、印刷会社出版部勤務を経て現在に至る。沖縄関連のコラム・書評・論説などを新聞・書籍で発表している。琉球新報 1999 年より現在まで 12 月の「年末回顧 出版編」の執筆を担当。1994 年より、沖縄発の本を広く社会へ紹介、販売、認知させるべく日々活動している。県産本ネットワーク初代事務局長。