出版人列伝
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#15

「市場の古本屋ウララ」店主
宇田智子さん

宇田智子さん(「市場の古本屋ウララ」店主)
宇田智子さん(「市場の古本屋ウララ」店主)

〜沖縄本との出会い、そして沖縄本へ望むこと〜

建て替え中の那覇市第一牧志公設市場の脇で、「市場の古本屋ウララ」を営む宇田智子さん。これまでの活動と沖縄本へ望むことを語ってもらった。

「沖縄本」との出会い 

神奈川県出身で、日本文学を学ぶ大学時代に書店でのアルバイトを経験した。「残業や休日出勤も多くて、大変な仕事だなと思った。それでも、好きな本に囲まれ、本好きな人が集まる環境に居ることが幸せだった」。

2002年にジュンク堂書店に入社。興味の持てること、自分の得意なことを仕事にしたいと選んだのが書店員という仕事。池袋本店に配属されて人文書を担当。歴史書の地方史の棚に47都道府県の本が陳列されていた。その中の一つだった沖縄本、冊数も少なく最初は気に留めていなかったという。

宇田さんと沖縄本との距離は、取次である地方小出版流通センターが企画した「沖縄県産本フェア」でぐっと近くなる。五つの棚が埋まるほどの本の量、郷土本に多い歴史書だけではない多彩なジャンルの出版物に圧倒された。「背表紙がない本、バーコードがない本もあって、検品のときには苦労した。それでも、本を出したいという著者や版元の気持ちが全面に出ていて、絶対にこれを読んでもらいたいという気持ちが伝わる。自由で楽しい出版物の数々に、これまでの出版に対する思い込みが覆された」と語る。

そんな宇田さんに転機が訪れる。ジュンク堂書店が沖縄に支店を出すことを知り、沖縄への配属を自ら申し出る。「個人的にも行き詰まっている時期で、心機一転にもいいかなと安易な気持ち。それでも、県産本からは沖縄の魅力を感じていたし、沖縄への関心もあった」。2009年に那覇店開業準備に合わせて来沖。那覇店での仕事は、「把握しきれないほど版元があって、知らない本だらけで、作業量も多かった。版元さんが棚にない本を勝手に追加納品して並べてくれていて、沖縄独自の慣習に戸惑いながらも、版元さんも一緒に棚を作ってくれていると感じることができ、楽しかった」と笑う。

市場の古本屋ウララへ

那覇店では、地元の版元や本を知ることができた。しかし、県産本を見て、こういう自由なやり方もあるんだなと感じて沖縄に来たのに、ジュンク堂の中だと東京と同じルールでやるしかない。もっと自由にやりたいと考えるようになる。2011年ジュンク堂書店を退職し市場に「市場の古本屋ウララ」を構えた。「自分が売りたい本を、自由に取り引きできる。規模は小さくなり出来ることは少なくなったが、出来ることの種類は増えた」と笑顔で語る。日本で一番狭い古書店として知られていた「とくふく堂」が閉店するという話を聞いての決断。

ウララの入口には壁がなく、店の一歩外にはアーケード街が続く。「市場の中に溶け込んでいるような感覚を味わった。本を買うつもりじゃなかった人が小さなウララを見つけてくれる。目の前には、漬物屋さんや洋服屋さんなど市場で働く様々な人がいる。店によってお客さんとの距離感、商品の売り方が全く違うことを肌で感じることができ、毎日が面白かった」。

「著者や版元との距離感はどうですか?」と尋ねると、「最接近です。版元や著者の方も通りがかりに声をかけてくれるし、市場では何もかもが近い」と笑顔で返す。「ジュンク堂に勤めていた時は会社という盾があったが、今は自分が剥き出しの状態で店に座っている。距離感は難しくて、近づこうと思えば近づける。それも、自由」。市場の店と人との程よい距離感をウララにも宇田さんにも感じる。

今までは、本の世界の中で本だけを見ながら、どの本をどういう風に売るかを考えていたという。しかし、市場にウララを構えて「市場の中で、本屋として何が出来るかを考えるようになった」と語る。「『とくふく堂』を引き継いだときは市場のことをよく知らなかった。最初からこうしたいと考えていたことは少なくて、市場だからできること、ここでやるのが面白いんじゃないかと思いついたことを、徐々にやっていった」。

筆者自身が幼い頃から通いなれた市場という空間に、宇田さんが自然に溶け込んでいく様子を見ていると、少しずつ新しい歴史が積み重なっていくように感じる。市場の歴史、那覇の歴史、ウララの歴史が交差し重なり合っていく。ウララは2021年11月で10周年を迎えた。