出版人列伝
出版人列伝出版人列伝
#05

デザイナー
宜壽次美智(ぎすじみち)さん

宜壽次美智さん(デザイナー)
宜壽次美智さん(デザイナー)

~新しい表現で沖縄を魅せる~

東洋企画発行の定期刊行物『モモト』のアートディレクター、沖縄県立博物館・美術館の展示図録、沖縄本の表紙デザイン・イラストなどを手掛けているデザイナーの宜壽次美智さん。デザイナーとしての活動、ご自身の創作活動、沖縄本との関わりをお伺いした。

今まで

子どもの頃から絵を描くことが大好きで、それを仕事にしたいと意識したのが中学生の頃。専門の大学に行って勉強してみたいと沖縄県立芸術大学へ入学し、デザインや絵の基礎を学ぶ。「その時は、特にデザイナーとかは意識してなくて、絵を描くことが好きなのでイラストとか挿絵関係のお仕事がしたいと考えていましたね」。

1996年に芸術大学を卒業。沖縄県内の印刷会社に入社し、デザイン制作の部署に配属されてデザイナーへの道が開ける。「時代はアナログ製版とDTPデザインの転換期で、仕事の中でコンピューターデザインツールを覚え、先輩方の指導を受けながらデザインの仕事を学ぶことができました」。一方、デザインの仕事をこなしながら、パンフレットの挿絵や広報物のイラスト制作も手掛けていく。

30代に入ってからは、個人としてアートイベント・カイナアートフェスタやグループ展へも参加するようになる。フェスタに出品した文鳥フィギュアが琉球ぴらすさんで “クイッピー”誕生のきっかけになり、Tシャツや手ぬぐいのデザインを手がけるようになる。その後、イラストや手作り絵本、オリジナル雑貨制作など創作活動の幅を拡げていく。それがフリーランスとしての道を歩むきっかけとなった。

沖縄本との関わり

同時期に独立し、フリーランスとしての活動をスタートさせた。「仕事をしながらいろいろな方と知り合うことができ、『モモト』のデザインを担当していた先輩から声をかけられ、4号から関わるようになりました」。『モモト』では、ときどき表紙のデザインも担当する。「頭の中で書店に並べられている様子を妄想し、実際に書店に足を運びシミュレーションをするなどの作業は必ずやります。どう存在感を出せるのかを考えながら作業をしています」と語る。

2009年にスタートした『モモト』も2022年1月現在49号を数える。号を重ねるごとに重厚感を増し、ウチナーンチュにむけて伝えたいことを大事にしている雑誌だと感じる。「原稿を読みながら、毎回、自分が知らなかった沖縄を知ることができ、勉強できることが多いです」。その『モモト』で、5年ほど前からアートディレクターの一人として、本全体のカラーを作っていくポジションに就く。

沖縄本との関わりについても聞いてみた。「言事堂の宮城未来さんの紹介でボーダーインクさんと仕事を始めたのが2017年頃です」。手がけられたのは『野の野草、食べ物を使った 手作り化粧品レシピブック』(2017年刊)、紅型を用いた美しい表紙デザインだ。同社から出版された『つながる沖縄近現代史』(2021年刊)では表紙デザインを担当。ジャケットには、戦前戦後の沖縄のモチーフやアイコンが描かれていて、ジャケットの折り返しにはヒンプンや石敢當が描かれている。「沖縄のものを散りばめながらも、沖縄を知らない人が手に取りやすいデザインになるよう心掛けました。本は残していくもの、ずっとこの先もいろんな人が目にしていくものだから責任がある。残したいものを描くということを意識してやっていきたいですね」。

これまで20冊以上の表紙デザインやイラストを担当してきた宜壽次さん。「本にはその本の世界があるので、編集者や著者の方のご意見をお伺いしながら伝えたいことを表現します。他の印刷物とは違う世界が装丁のデザインにはあります。書店でふと見た人が『おっ』と目に留まることが大事だと考え、そこを意識しながら制作します」と語ってくれた。本に於けるデザインとイラストの役割とは、本が伝えたいことを表現し、視覚へ訴えるということだと感じた。著者、編集者、デザイナー、携わる人々の想いと技術が折り重なって本が作られるのだと、改めてその存在の重要性に気づかされた。

小冊子『市場中央通りアーケード物語 もう一度あなたに会いたい』(市場中央通り第一アーケード協議会発行)には、宜壽次さんの高校の通学路だった市場中央通りの何気ない日常と風景が描かれている。「アーケードが無くなるのは淋しいけれど、冊子として残しておきたいという、宇田智子さん(市場の古本屋ウララ店主)の依頼に、是非やらせて下さいとお引き受けしました。」。描かれた絵には、通い慣れた思い入れのある風景を伝えていきたいとの熱意が感じられる。

幼い頃に見て触れた風景や日常の暮らしは、知らず知らずのうちに宜壽次さんの中に息づいていると感じる。「私が生まれ育った那覇でも、これまで当然のようにあった建物や看板がなくなったりするので、それを写真で撮って残すようにはしています。元々、古い建物とか風景を撮るのが好きだったんで…」。街中の看板や風景等の写真を趣味で20年ほど撮りためていて、言事堂で写真展を開いた際には、みんなが喜んでくれたと嬉しそうに語ってくれた。